Peziza corona (Jacq) 25 avril 1889 Pins de la Galle 339

153-  Peziza coronaria Jacquin  《ガ-ル松林、1889年4月25日》

解釈:Sarcosphaera crassa (Santi) Pouz.

異名: S. coronaria (Jacq.) Schroet.,S. eximia (Dur. & Lév.) Maire

仏名:Pézize couronnée, Pézize étoilée

【冠をかぶったチャワンタケ、星形のチャワンタケ意】

【和名:なし】

      ファ-ブルが同定した Peziza coronaria (現在は Sarcosphaera crassa)にはなんの疑問もない。この種は土にほんの僅か隠れるかまたは地面すれすれの所に生育する。子嚢盤は多少とも球形、中空で内面は肥厚し、類白色である。気象条件がよければ地上に姿を表わし、のち大きな椀形でその縁は5 ~ 10 cm の星形に深裂しながら開いていく。

        内面は平滑、開いたばかりの時は白色あるいは淡い桃色であるが、のち光りの作用で帯紫色ついには胞子の成熟による紫褐色になる。土壌によっては発生時に土を外面に付着させて褐色のこともある。このキノコは広義のチャワンタケ属の中でも大型の一種であり、径 8 ~ 12 cm、時にはそれ以上になることもある。特にモミやマツ、ブナの樹下に発生する。春に発生するキノコとして知られており、 Marchand によればカタロ-ニヤ地方では2-3月に見られることもあるようだ。 Rémy によれば、ブリアンソン地方では、1926年以前にはこのキノコは普通に見られたが、以来減少が著しく、最近では極めてまれだという。 Bon はソンム渓谷の石灰質の斜面、ことに野生のランの生息している草地には現在でも春になるとかなりよく見られるという。私達はフォンテェヌブロ-の森やサンジェルマン.アン.レイの森で採集されたこのキノコを何回も見たことがある。また1977年7月に  オ-トザルプ県のポリニイ-の森で大群に出会ったことがあるが、その中のいくつかは優に16 cm を越していた。北米ではこのキノコはいたる所に発生する。

        一般にはこのキノコは食用として知られているがむしろ避けたほうがよいと思われる。なぜなら、このキノコを生や火をよく通さないで食べた人達が、かなり重症の嘔吐や胃腸障害を起こしているからである。スイスでは 1920年に一人の死亡例さえ記録されている。

        他の有弁盤菌綱(Discomycètes operculés)と同様に、長い間このキノコの毒性物質はヘルヴェリン酸(acide helvellique)だと思われていた。しかし最近のアメリカとカナダの  Amirati, Traquair & Horgen の研究によれば、毒性物質はモノメチルヒドラジン(monométhyl-hydrazine)であり、《87.5℃で破壊され、空気にふれると簡単に分解し...この分子はしばしばロケットの燃料として使われ...モノメチルヒドラジン中毒においては許容量はかなり個人差がある》という。


Phallus imperialis Novbre 1893

154-  Phallus (Ithyphallus) imperialis Schulzer       《1893年11月》

解釈:不確か, Phallus hadriani  Vent. : Pers. ?

異名: Phallus impudicus var. imperialis(Schulz.) Lloyd

仏名: Phallus d'Hadrian, Phallus de l'Empereur

【アドリアン氏のスッポンタケ、皇帝のスッポンタケの意】

【和名:アカダマスッポンタケ、スッポンタケ属、腹菌亜綱】

 

      Lütjeharms は Phallus hadriani の学名について次のように書いている: 《 オランダの有名な医者であり歴史家でありヒューマニストである Hadrianus junius (1551-1575)は初めてスッポンタケの記述をし、その本は1601年に公表された。Phallus hadriani の学名は16世紀以降18世紀になってさえ Ventenat のような植物学者の著作中にその名前が見られたが、想像上のキノコだと思われる。異名の P. imperialis はおそらく上記のオランダの Hadrianus とローマ帝国の Hadrianus 皇帝との混同であろうと思われる。》

      ファ-ブルの図版のキノコはつぼが菌糸体と同じ淡い桃色で溝線があり、傘はほとんど黒に近い暗緑色で、基準種のスッポンタケほど頂部は尖っておらず、Phallus hadriani 【アカダマスッポンタケ】を想わせる。しかし以上の特徴だけでアカダマスッポンタケと同定することはできない。この種には多くの異論があることは知られている。Hollos は1904年の Die Gasteromyceten ungarns 【ハンガリアの腹菌亜綱】の本に二枚のスッポンタケの図を描いているが、その二枚とも、つぼと菌糸体が桃色である!

      Jaczewski によれば  アカダマスッポンタケのつぼは鮮やかな桃色である。Dominik & Morawski は自分達の観察と Schulzer の原文の記述をもとにこの種は《菌糸体が赤色かチェリーレッド、つぼは赤色か桃色またはチェリーレッド》と記述している。また Josserand は《殻皮は赤葡萄酒色をおびた桃色》と記している。

      もう一つの重要な特徴である臭いについて  Virieux は 《 Phallus hadriani は少し酸っぱい香りがしPhallus impudicus より不快さが少ない》と記述している。Bertault は《桃色のつぼははっきりとエタノールの臭いがした 》 と記している。Josserand は《成熟して殻皮が破れると強いアルコールの快い香りがした》と書いている。Dominik & Morawski は精液の臭いだという。腹菌亜綱の専門家である Mornand によれば、このキノコの臭いは生育の段階と湿度によってかなり異なるという。従って、上記の各氏の臭いの記述はそれぞれ正確だといえよう。

      Dominik & Morawski の研究以来(1935年のフランス菌学会会報誌) P. impudicus と P. hadriani (=imperialis)は別種であることをほとんどの研究者が肯定している。

      スッポンタケはヨーロッパでは普通に見られるキノコだが、アカダマスッポンタケは稀なキノコである。アカダマスッポンタケはしばしば砂地に発生し、一番初めはハンガリアの南部で採集され、やがて他の国でも発生が知られるようになった。フランスでは1881年に初めてシャラント・マリティム県で見つけられ、その後ロアール河口の砂地帯やメネロアール県、ロワレ県、北西の海岸砂丘で何回も採集された。

      腹菌亜綱の中のスッポンタケ科には、アカカゴタケ科とともに、植物界では一番奇妙で進化した種を有している。


 

 

155 Phallus impudicus, 16 9bre 1890

155-  Phallus impudicus        《1890年9月16日》

解釈: Phallus impudicus L. : Pers. 【Phallus =男根,impudicus =羞恥心のない】

仏名: Satyre puant,Morille verte, Oeuf du diable

【悪臭のサテユロス(ギリシャ神話)、緑色のモリーユ、悪魔の卵の意】

【和名:スッポンタケ、スッポンタケ属、腹菌亜綱】

 

      この図版のキノコは前図のものとよく似ているが、ファ-ブルはここでは  Phallus impudicus 【スッポンタケ】と同定している。1893年に採集された前図のキノコは P. imperialis 【アカダマスッポンタケ】と呼ばれ(現在は優先的に P. hadriani という学名が使われている)、本図のキノコはそれより3年程前に採集されたもので、おそらく1890年にはファ-ブルはまだ P. imperialis を知らなかったのではないかと思われる。Schulzer は1866年にこの種を Kirchbaumia imperialis の学名で初めて発表した。フランスではこの種は1881年に初めて採集されたが、それまではハンガリアでしか知られていなかった。

      長い間多くの菌学者は P. imperialis と P. impudicus を同種と考えていた。例えば Lütjeharms  は1931年に次のように記述している:《いつも砂丘で見られるスッポンタケ属の一種であるアカダマスッポンタケは、つぼが初め白色だがやがてこのつぼは空気にさらされると桃色~濃い紫色に変わる!私の意見では、この桃色のつぼは、スッポンタケの基準品種を見分ける唯一の特徴だと思われる。しかし、つぼが少し桃色がかったスッポンタケは砂丘以外でもしばしば見つかる...多くの学者によれば、アカダマスッポンタケのもう一つの鑑別上の特徴は、傘の頂部がスッポンタケより目立った盤状である。しかし、この特徴はとても変化に富み、その上砂丘に発生するアカダマスッポンタケで、傘の頂部がほとんど盤状をなしてないものもある。これほど極端に変化のある特徴を有するキノコを種あるいは変種に区別することはできない!従って、アカダマスッポンタケは明確な種ではなく、単に Phallus impudicus  の一品種だと思う。しかし  典型的なアカダマスッポンタケを見ればスッポンタケとの違いは歴然としている...”imperialis” は品種名として保持できると思う...》

      1935年にフランス菌学会会報誌に発表された Dominik & Morawski の研究により(顕微鏡的特徴を含む)、今日ではこれらの二つのキノコは別種とみなされている。《噴霧器のように種を撒散らす分類の仕方はできない》とする Josserand でさえも、1947年には《あえて意見を言えば、P.imperialis  は独立した種である》と記している。

      しかし、この図版の左上の断面図と Dominik & Morawski が1935年に発表した図版1と2を比較してみると、ファ-ブルのキノコは、子実托はかなり単純でまったく分枝がなく、内被膜の名残もないといった理由から、アカダマスッポンタケよりもむしろスッポンタケに近いと考えられる。

      従って、スッポンタケとアカダマスッポンタケの間には、つぼが桃色のスッポンタケの一品種があると考えられ、この図版および前図のキノコが、このスッポンタケの一品種に該当するのではないかと思われる。

      スッポンタケは《死体》のような悪臭がするとほとんどの文献に書かれているが、実際はジャスミンに近い香りであり、それがあまりにもきついために不快な臭いとなる。

      スッポンタケは《卵》の状態では食用になり、半分に切って真ん中の白い部分を生でかじると、ほとんどの人が大根のような味がするというが、ハシバミの実の味にも近い。成熟すると傘は粘液質の基本体におおわれ、ハエを引きつけることで、胞子の拡散をはかっている。


 

 156 Pholiota Agrocybe aegerita

156-  Pholiota aegerita     《1892年4月30日、ハネカクシの

Oxyporus rufus に食い荒されている、

アヴィニィヨンのバルトラス【地名】でも同じことが観察された》

 

157 Pholiota Agrocybe aegerita 

157-  Pholiota aegerita       《1898年8月27日》

解釈: Agrocybe aegerita (Brig.)Fayod

仏名: Pholiote du peuplier, Pivoulade,プロヴァンス語で 《 Piboulado 》

【aegerita =ポプラの、piboulado =ポプラの子】

【和名:ヤナギマツタケ、フミヅキタケ属】

      図版には幼菌から老いたものまで各段階のキノコが描かれ、天候条件によって傘の色は変化し、クリ-ム白色~赤褐色、ひだは帯褐色、膜質のつばがはっきり見られるところから、Pholiota aegerita 【ヤナギマツタケ】としたファ-ブルの同定は確かである。

      ヤナギマツタケは林内を好まず、しばしばポプラの切株に束生するが、ヤナギの幹の空洞、カエデ、その他の広葉樹林、植林地、公園、時には市街地でも見ることがある。

      このキノコは少し暑いくらいの温暖な気候を好み、南仏では初春から、北部では夏から秋まで見られる。味は繊細で、美食家によればもっとも美味しいキノコの一つに数えられ、愛好者の垂涎の的である。良い香りがするために、ある特定の虫を引きつけ、キノコの中はたちまちら幼虫の巣となるので、若いキノコしか食べられない。

      ヤナギマツタケは未だかって商業化されたことはないか、世界で一番最初に栽培されたキノコである。大プリニウス【23-79年、古代ローマの政治家、学者、自然主義者、当代最大の博物誌37巻を残す】やヒポクラテスの後継者であるディオスコリデスによれば、キリスト紀元の一世紀にはすでに先人は土の中にポプラの木を埋めて Aegeriti と呼ばれたキノコの栽培を行なっていた。16世紀には植物学者の de l'Ecluse は、ヤナギマツタケの《酵母》(胞子?)をお湯に解いたものをポプラの木にをかけるように教えた。1840年には Desvaux はもっと詳しい栽培の仕方を書いている。それは輪切りにしたポプラの木にヤナギマツタケのひだを胞子が落ちないようにしっかりとこすり付け、湿気のある日陰を選んで置き、そこに上から薄く土をかける。今日でもこのキノコの愛好者はこの方法を使って栽培しているが、商業化するには量が十分ではなく、ツクリタケ【日本では商品名はマッシュルーム】と張り合うことはできない。ツクリタケの栽培は17世紀に初めてパリの庭師によって菜園の堆肥の上で始められ、champignon de Paris の名前で19世紀からは地下室や石切場の跡の特別に準備された堆肥の床で栽培されている。


 

158 Pholiota destruens Hemipholiota populnea

158-  Pholiota destruens      《1893年10月30日》

解釈: Hemipholiota populnea (Pers. : Fr.) Bon

異名: Pholiota destruens (Brond.) Gillet

【populnea = ポプラの、destruens =破壊的な】

【和名: キッコウスギタケ、スギタケ属】

      この図版の大きなキノコは傘には白色の大きな鱗片が付着し、柄の下部は膨らみ、上部にはつばを有し、Hemipholiota populnea 【キッコウスギタケ】が想定できる。この種は通常大型で、傘は径 25 cm も達し、最初淡いベージュ色のちオレンジ黄色~ベージュ色がかった褐色になり、鱗片は白い綿毛状で、縁部になるほど豊かである。ひだは湾生で、粘土色やがてチョコレート褐色になる。柄は太く下部で膨らみ、ささくれ鱗片状、傘と同色、上部にはとても消えやすいつばがある。肉は厚く充実し、傘部はクリーム色、柄部はそれよりもっと濃く、香りは快いという人も不快だという人もいる。

      キッコウスギタケは特にポプラの切株や鋸屑にさえ発生し、南仏ではかなり普通に見られる。食用にはならない。

      Hemipholiota 属は Pholiota 属と違って、ひだと胞子はさび色ではなくてくすんだ褐色である。スギタケ属には傘と柄全体が鱗片でおおわれる種が多い。例えば  :

  - Pholiota squarrosa (Moell. : Fr.) Kummer 【スギタケ】の傘の表面は黄土色で放射状に褐色のささくれ状鱗片におおわれ、柄は傘と同色かつ同様の鱗片におおわれる。

  - Pholiota flammans (Batch. :Fr.) Kummer 【ハナガサタケ】はスギタケに似るが、傘がオレンジ色がかった鮮やかな黄色で、オレンジ色のささくれ状鱗片におおわれる。


 

 159 Pholiota praecox Agrocybe molesta cf

159-  Pholiota praecox     《1893年12日1日》

解釈:不確か、Agrocybe molesta (Lasch) Sing. ?

異名: Pholiota dura (Bolt. : Fr.) Kummermolesta=不快、dura=硬い】

【和名: なし、フミヅキタケ属】

      傘が類白色、ひだは土褐色、柄の下部はふくらみ、全体の外観や12月という採集時期から推測すると,図版のキノコはむしろ Agrocybe molesta ではないかと思われる。A. molesta は傘はまんじゅう形のちほとんど平らに開き、表面は白色~淡い黄土色。ひだは直生、類粘土色。柄は下部で僅かにふくらみ軟毛におおわれ、表面は白色、上部には小さなつばがある。肉は厚く、硬く、白色で味や香りは快い。このキノコは春から秋まで牧場、芝生、道の斜面などに散生し、局限的だが普通に見られ、食用になる。

      Agrocybe praecox (Pers.) Fayod 【フミヅキタケ】は初夏に限って発生を見る。傘はまんじゅう形、表面は帯黄土クリーム色~淡黄褐色。柄は白色でつばを有する。ひだは直生、帯白色~土褐色。このキノコは草地の薮に時には豊富に発生し、食用になる。

      沼地に発生する Agrocybe paludosa (Lange) Kühn. & Romagn. 【コフミヅキタケ】は柄が細長い。