ジャン・アンリ・ファーブルのきのこ (Shin-Ichi Hatanaka 畑中 信一)
日本菌学会会報 35 : 233, 1994 Transactions of the Mycological Society of Japan 35 : 233, 1994
書評 |
Claude Caussanel 監修, Yves Delange, Patrick Joly, Diane de Margerie著, Les Champignons de Jean-Henri Fabre-est une realisation des editions Citadelles. ジャン・アンリ・ファーブルのきのこ一221点の水彩画と解説. 日本語版監修本郷次雄,翻訳 Toshie, Daniel Guez,版 30 x 38cm, 446ページ,総厚手アーt、紙,カラー,同朋舎出版 1993年11月20日発行,定価 70,000円 |
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同時代の文学者エドモン・ロスタンをして,「哲学者のように思索し,芸術家のように観察し,詩人のように感じ,文学者のように表現する偉大な学者」と評させたアンリ・ファ ープルは,その大著「昆虫記」によって余りにも有名である. この度,国立自然史博物館昆虫学研究所の教授であり,ファーブルのアルマス博物館長でもあるクロード・コサネル教授が解説を監修し,一部は自らも執筆された豪華な図版集が日本で出版された.
周知のとうり,ファーブルは自然界のあらゆる事物と現象に,天賦ともいうべき飽くなき好奇心と観察眼と忍耐力で立ち向かい,「昆虫記」の他にも膨大な著述を残している. ほとんど独学ながら,学術的に価値のあるものから数学,動物学,植物学,有機化学から天文学にわたり,小学校から高校で長く使われた教科書まであるという. しかし,今度刊行されたものはいわば未発表の,アルマス博物館でなければ見ることの出来ない珠玉の)貴品というべきものである. 少しでもきのこに関心がある向きなら,本書に接してまずその絢欄豪華な出来栄えに驚嘆の声をあげること必定である. その理由は描写の精密さもさることながら,ひとつひとつのきのこが,実物大あるいはそれ以上とも思われる程大変大きく描かれているからである.
木書は単にファープルのきのこの水彩画を集めたものでないところが非凡である. クロード・コサネルの序文にはじまり,それぞれの著者が「現在の英雄 ジャン・アンリ・ファープル」,「ファーブルの科学的業績とその道のり」さらに「ファ ープルの菌学の作品」と題する優れた解説があったのち,115ページになっていよいよ水彩画の登場となる. これらの解説はまとめて単行本にして欲しいくらい充実したもので,あるいはファ ーブルの見事な伝記であり,あるいは「昆虫記」の明快な解説であり,そして彼がいかに菌学にも精通していたかが語られる.
ファーブルは物心ついて間もなく昆虫の習性に異常なほどの好奇心を示すが,ほぼそれと同時にきのこの形や色彩にも興味をもちはじめ,きのこへの執着は終生変わらなかったようである. 昆虫ときのことの関係については,昆虫記の第10巻20章に「昆虫と茸類」,さらにその前の章にも一部,面白い記述がある. しかしファーブルは昆虫とほとんど無縁のきのこについても専門的な論文を発表しており,多くの新属,新種の記載をおこなって いる. 圧巻はヴオークリューズ地方の Sphaeriaceae の 220種にものぽる種,あるいは変種のフローラといわれる.
ファ ーブルは自ら採集したり,息子達が集めてきたきのこの類を水彩画として残そうと考えた. 彼が心1血を注いだ甲虫類等は保存がきくがきのこはそうはいかない.彼は1878年から1899年までの20年余りの間に実に700枚ものきのこの水彩画を描いたと言われる. これらは,33 x 24. 5 cm の画用紙に, ほとんどいっばいに,時として半分あるいは4分の1 に切って描いた. 本書に収録された図の大きさに圧倒されるのは当然と言えよう. 残された700枚もの図の中には,画き直しを予定していたと思われるメモのあるのもかなりあるそうだから,本書の 221点は厳選されたものというよりファープルのきのこの図版の大部分であるといってよいであろう. ほとんど家族以外その存在すら知らなかったという図版を,アルマスの博物館で公開するように尽力したのは Roger Heimであったという.
精密画は属毎にアルファベット順に配置され,50図ばかり続いたところで,描かれたきのこの黒白の小さい写真があり,解釈と称するユニークで詳細な説明があるのが嬉しいし,楽しい. 現行の植物学命名規約にしたがって学名がつけかえられているのがあるのは当然ながら,ファープルの同定に,厳密な,時として容赦のない批判と検討が加えられ,あるものは訂正され,あるものはファーブルが決められなかったにも拘らず,自信をもって学名が与えられている. いずれもその描写が極めて精密であったからの事であろう. もちろん彼が同定できなかったもので,やはりわからなかったものも残っている.解釈不確実というのもある. 仏名,ラテン語の意味も随所にあって興味深い読物となった.
日本語版は本郷次雄先生が監修しておられるので,和名のあるものにはそれが併記されている. 和名なしとされているものは日本には分布が知られていないということなのだろうか。プロヴァ ンス地方の固有種もあるのだろうか.巻末には文献目録と学名索引がつけられている.裏表紙にprinted in France とある.
ただ図版を眺めてもよし,全半の解説や図の解釈をじっくり読むもよし,評者もしばらくの間,大変豊かな気分に浸ることができた.
(Shin-Ichi Hatanaka 畑中 信一)