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Ki-no-ko fungi
9 décembre 2016

ジャン・アンリ・ファーブルのきのこ

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見ること、知ること、それは生の根源を理解し解明することである
ファーブルを魅了するのは起源であり、それは生き続けるための苦しい闘争である。
《幼虫 は白っぽくて裸、それに盲目といえば地下生活の常で、その姿は槍の先のようであり少々オサムシを思わせる。黒い顎は強靭で優れた解剖用の挟みであ る...》とファーブルは甲虫目の幼虫について書いている(昆虫記6巻「モンシデムシ」)。

幼虫はすでにまばゆいばかりに武装しているが、しかしまだ自立 にはいたらず、成虫になる前のこの最初の段階から、さなぎへと変身していくための準備期間には目を見張るものがある。

《産着に包み込まれたミイラのような幼虫は、不動のまま蘇生するのを待っている。柔らかい肉はほとんど液体に近く、両脇から延びた水晶のように透明な四肢は不動のままで、ほんの僅かの動きさえも、このえも言われぬ繊細な仕事に支障をきたすことを恐れるかのようである。このような幼虫が、われわれの知っている昆虫に変身するという不思議が、ファーブルの好奇心をいたく刺激したことは確かである。

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